光琳かるた
百人一首
「光琳歌留多」
製造:京都 大石天狗堂謹製
手作業、表金銀箔仕上げ、裏和紙仕上げ
付属品は
かるた200枚と紫色の丹後縮緬の帛紗と山吹色の布と黒漆塗りの箱と緑色の和紙の箱です。
光琳かるた
貝覆に変わり歌かるたが嫁入道具の一つになると、手書きの豪華な歌かるたが数多く作られるようになった。其の中の最も優れた歌かるたが尾形光琳作とされている光琳かるたである。
このかるたは、今でも実際に使用された形跡が殆どない程の輝きを見せている。
二百枚のかるたのうち、百枚には上の句と歌仙絵が描かれ、もう百枚には下絵に歌意を表す花鳥風月が描かれ、下の句が書かれて…
尾形光琳は、万治元年(一六五八年)
京都の富商雁金屋という高級呉服商の次男として生まれた。父の死後、商売が悪化したのを機に画家としての道を進んだ。
名門本阿弥光悦とは親類筋にあたることから「光悦」にあやかり 「光琳」と名のった。三十才代には狩野派に学び、その後俵屋宗達との出会いによって光琳は飛躍的に成長した。 元禄十四年(一七〇一年)、四十四才で
【法橋】に就任してから益々意気上がり、大作を発表した。
代表作には【三十六歌仙図】、【紅梅白梅図】、【燕子花図】等があり、又、工芸家としての作品
も残っている。
江戸中期になると、歌かるたは一般庶民の間でも大流行した。もともと歌かるたは百人一首…
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